福岡ダイエーホークス物語

第4章 福岡ドーム開幕

メジャー級のドーム球場

 1993(平成5)年4月2日。福岡ドーム、オープン。

 日本初の屋根開閉式ドームで、外野フェンスの高さは約 6メートル。敷地面積、約17万平方メートル。フィールド面積、約1万3千500メートル。収容人員、4万8千人。センターバックスクリーンにあるホークスビジョンは、縦の長さ約10メートル。横の長さは約35.2メートル。対角線の距離は、ホームベースからセカンドまでの距離と同じ。 オープン当初、最新の技術を駆使した「メジャー級のドーム球場」とうたわれた。

1993年3月31日、福岡ドーム竣工式神事
1993年3月31日、福岡ドーム竣工式神事

 さらに、スタンドの一部が可動式な上に、ピッチャーズマウンドは収納が可能となっており、目的に合わせて形式を変えることができる。野球以外にもサッカーやフットボールなどの競技も可能だ。音響施設も、ロックコンサートを前提とした設計がしてあり、様々なエンターテイメントに活用できる。多目的エンターテイメント空間として、大々的にオープンした。

満を持しての開幕

 福岡ドームオープンに合わせ、チームにも転機が訪れていた。ユニフォームは、縦縞たてじまのユニフォームから、白いシンプルなユニフォームに一新した。監督には根本陸夫氏が就任。キャンプ初日から紅白戦を実施するなど、根本新監督の奇抜な指導法に人々は度肝を抜かされた。一方でチームの戦力も着実に向上してきていた。前年には新人の若田部 健一がエースとしてその名をとどろかせ、ベテランの佐々木誠や村田勝喜、山本和範、藤本博史も健在。捕手は、吉永幸一郎を中心に良質の選手が揃っている。栄光への架け橋は完成間近に思われた。期待に胸が高鳴る中、満を持しての開幕を迎えた。

黒星スタート

 1993(平成5)年4月17日。福岡ドームでペナントレースが開幕した。対戦カードは「福岡ダイエーホークス対近鉄バファローズ(現、オリックスバファローズ)」。奇しくも、平和台球場最終戦と同じカードだった。オープニングセレモニーも華やかに、堂々と迎えた開幕戦。ダイエーはエース、村田を送り込んだ。だが、結果は0−1。残念ながら、福岡ドーム開幕戦は黒星でのスタートとなってしまった。

 翌日の第2戦では、山本和範の第1号ホームラン(福岡ドームでのホークス選手初ホームラン。公式戦でもダイエーの初ホームラン)が飛び出し、5−4の接戦を勝ち抜いた。これが福岡ドーム初白星となる。

 しかし、その後チームは4連敗。福岡ドームで行われた公式戦は18勝37敗と、完全に負け越した。

いつしかの夢を託して

 福岡ドーム元年のこの年、結局チームは最下位。新に始まった歴史のドラマに、“栄光”の二文字を掲げることはできなかった。けれども、新たな歴史の1ページは、まだ書き出しに過ぎない。最下位となったこの年も、ファンの声援は変わらなかった。ファンが夢見るのは、ただ1つ。チームの優勝、そして日本一。そのために、チームがどんな状態になろうとも熱い声援をおくり続けた。平和台球場で成しえなかった夢を託して。いつしか、その夢を福岡ドームで果たせるときがくるまで。ファンの熱い声援は永遠に続く。そして選手は、その声援に、グラウンドで静かに答える。

⇒次章 低迷を続けるダイエー。その時、チームの命運を大きく変える男がいた・・・。

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