第6章 王ダイエー誕生
「AIMING〜狙います。」
今、王監督の顔を見ると、監督就任当時に比べて、どことなく皺が増えたような気がする。それは、 10年間という長い年月を感じさせる。
1994(平成6)年10月12日。王貞治氏のダイエー監督就任が発表された。王監督の就任。それは、ダイエーが優勝を狙うための大きな材料となることを意味していた。監督自身も就任当時、「ダイエーホークスを日本一のチームに導くこと、それが、僕が九州でやるべきことだ」と熱弁した。目指すものはリーグ制覇、そして日本一。それだけだった。「AIMING〜狙います。」監督就任 1年目の球団スローガンが、その強い意志を物語っていた。
高まる期待
「世界の王」の現場復帰。そして、プロ野球ファンの誰もが待 ち 望 で い る 「 O N 対決」。否が応でも期待は高まった。
チームの意識も変わろうとしていた。前年、ペナントレースの最後まで首位接戦に加わった。Aクラスに入る瀬戸際の4位でシーズンを終了した。この時、選手たちの中に「勝つ喜び」が芽生え始めていた。長い間Bクラスに甘んじていたチームがここまでやれたのは、自信となった。さらに、王監督の就任は大きな刺激となり、選手たちを発奮させた。選手をはじめ、今まで懸命に応援を続けたホークスファン、そして、プロ野球の歴史の中で最も望まれていた夢を背負って、期待のシーズンが始まろうとしていた。
苦悩を乗り越えて
だが、いざ始まってみれば苦しいものだった。王監督就任1年目のシーズンは130試合54勝72敗4分、5位。翌年は3年ぶりの最下位となり、チームは再びBクラスを 彷徨った。“名選手は名監督になれない”というジンクスがある。 王監督は 、 1984(昭和59)年から1988 ( 昭和63 ) 年まで読売ジャイアンツの監督も務めたが、 5年間の監督生活の中でリーグ優勝は1回(1987年・昭和26年)。日本一の経験はない。王監督までもこのジンクスを背負う羽目になってしまうのか。高い期待を裏切られたチームの結果に人々は嘆いた。
弱いチームを底上げして、黄金期へ持ち込むには、それなりの苦労を共にする、至難の業だった。しばらく、王ダイエーの苦悩が続くこととなった。
⇒次章 「王、ヤメロ」…悲痛の声が飛び交った。その屈辱を受けて選手達は…。
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