第7章 「生卵事件」
続く低迷
王監督が就任してからの3年間は不振にあえいだ。5位、6位、4位。チームも不運だった。戦力として重要なポストを握る選手が故障や不振に見舞われることもあった。それでも指揮官の言葉は変わらなかった。「やるからには勝つ」。目指すものはただ 1つ、優勝だけだ。
期待にこたえられず、低迷するチームに、ファンも半ば夢をあきらめかけた。ダイエー球団誕生から8年。リーグ優勝どころか、上位でシーズンを終えたことすらない。期待と希望に満ち溢れていたあの頃の気持ちはどこへいったのか。ファンはもう待ちきれなかった。
「生卵事件」
続く低迷が引き金となって、その事件は起きた。
栄光のVを待ち望んでいるのは福岡のファンだけではない。福岡ダイエーの前身、南海ホークスの本拠地だった大阪のホークスファンもその気持ちは強かった。南海が身売りされる際、大阪では反対運動も起こった。しかし、その必死の抵抗むなしくチームはフランチャイズを福岡に移転。「福岡ダイエーホークス」が誕生した。
1996(平成8)年5月9日。近鉄バファローズ(現、オリックスバファローズ)対福岡ダイエーホークス7回戦。日本生命球場(大阪市。現在、撤去)で行われたゲームは2−3でダイエーが惜敗。前日にも4−10の大敗を期していた。ここまでシーズン成績は9勝22敗。3割にも満たない成績についにファンの怒りが爆発した。試合後、球場を後にしようとした選手達のバスに向かって、周りを取り囲んだファンから生卵が投げつけられた。この他にも、選手や監督にまで、筆舌に尽くしがたい非難の言葉を浴びせられることもあった。選手たちのあいだでは今でも「あの時の屈辱は忘れない」として、しっかりと脳裏に焼き付けられている。
“強いダイエー”を目指して
そんな叱咤 の屈辱の悔しさはやがてバネとなり、チームを奮い立たせた。かつてダイエー球団を変えるために尽力した根本陸夫氏は、こんな言葉を残している。
「野球をするだけの集団なのか。それとも、本当の意味で、目的を持った集団なのか。」
“弱いダイエー”は、前者に近かったという。だが、やがてチームは「本当の意味で、目的を持った集団」になりつつあろうとしていた。「やるからには勝つ」。指揮官、王監督の口癖だ。そんな熱意はやがて選手たちに届き始めた。2度と屈辱を受けないために。不甲斐ない試合が続いても絶えず球場に足を運んでくれるファンのために。「あの悔しさは絶対に忘れてはならない」。チームがひとつになろうとしていた。
⇒次章 “強いダイエー”を目指すには欠かせない男たちがいた。彼らの想いは…。
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