福岡ダイエーホークス物語

第9章 初優勝、日本一

Aクラス

 “優勝”という長年描き続けてきた夢が現実味を帯びてきたのは、1998(平成10)年のことだった。オリックスブルーウェーブ(現、オリックスバファローズ)と 同 率 な が ら 3位。 ダイエー史上初めて、Aクラスでシーズンを終えた。“優勝”の2文字は、手の届くところまで来ていた。

 秋山幸二(現、福岡ソフトバンクホークスチーフコーチ)や工藤公康(現、横浜ベイスターズ)など優勝経験のあるベテラン選手の指導は、若手選手を着実に底上げし、チームの結束をより強固なものへとしていった。また、王監督就任 5年目にして、チームはようやく監督が思い描いたチーム力へと変貌しつつあった。

 打者は1、2番を足のある柴原洋、浜名千広(現、プロ野球解説者)で固め、クリーンナップには井口忠仁(現、サンディエゴ・パドレス)、小久保裕紀、秋山。DHに吉永幸一郎(現、会社役員)を置くと、キャッチャーは城島健司(現、シアトル・マリナーズ)。さらに松中信彦へと続く。

 投手は、工藤を先発投手陣の筆頭として、入団当初から注目を浴び続ける若田部健一(現、プロ野球解説者)。さらに、星野順治、永井智宏(現、ホークス球団職員)の台頭が投手力を引き上げた。中継ぎには、篠原貴行、藤井将雄(故)。この星野、永井、篠原は全員同期入団で、“2年目トリオ”としてその功績を残した。篠原は不敗伝説を生み、中継ぎ投手ながら 14連勝を挙げた。極めつけは、“抑えの守護神”としてペドラザがゲームを守る。ここに、「勝利の方程式」が確立した。

 王ダイエーが理想に近づいた。機動力で攻めると、ホームランを打てるクリーンナップで一気にゲームの流れを作る。投手は「勝利の方程式」で相手打線に反撃の隙を与えなかった。 1999年の福岡ダイエーホークスは何かが違っていた。今までの「弱いダイエー」から一転した。サヨナラゲームが多いのも強みになった。負けていてもどこかで必ず追いつき、サヨナラを演じてくれる。シーズンを通して目が離せないゲームが続いた。

 そしてついに8月31日、優勝へのマジックポイント「20」がダイエーに初点灯した。“優勝”の2文字を確実に掴みかけた。

マジック「1」

 チームの勢いは止まらなかった。何度かマジックは消滅するものの、すぐに再点灯。着実にマジックポイントを減らしていった。9月23日に工藤の通算2000奪三振や松中の決勝弾でオリックスに快勝すると、マジックは「2」。 25日にも優勝と騒がれた。

 1999年9月25日土曜日。運命の日を迎えようとしていた。ダイエーには最高の舞台が用意された。何より、この日の試合が地元、福岡ドームで行われることが選手らを奮い立たせた。「地元で決める」。その意志は固かった。

 この日、ダイエーの試合はナイターだったが、マジック対象チームとなる西武ライオンズはデーゲームだった。昼の試合で西武が負ければ、ダイエーのマジックは1つ減って「1」となる。そうなれば、夜の試合でダイエーが勝てば優勝が決まる。

 ――勝利の女神は、ダイエーに味方した。試合前、ダイエーのロッカールームが騒然とした。西武の敗戦の報せが入った。チームのボルテージは一気に上がった。その速報を知ったファンも、興奮した面持ちで球場へ応援に駆けつけた。ダイエーのマジックは「1」。あのとき託した夢を叶える日となるのか。決戦は今夜。福博の街は異様な緊張に包まれた。

9・25

 この日、闘将・王貞治の顔は終始おだやかだった。思い返せば、幾多の苦難を乗り越えてきた。根本陸夫氏の熱意を受けてダイエーの監督に就任して5年目。この間、生卵を投げつけられるような(註1)屈辱も味わった。脱税事件(註2)やサイン盗疑惑(註3)などの事件にも巻き込まれた。グラウンドでは常に 毅然きぜんとした態度を保つ指揮官は「悔しい」と人知れず涙を流したこともあったという。そして、ダイエー球団改革のために尽力し、ナインに慕われた根本氏もこの年に他界した。ベンチには、根本氏の遺影が飾られている。優しく微笑むこの根本氏の写真は、王監督はじめ、選手らの心の支えになった。天国の根本氏へ「必ずV報告をする」と誓った。

 マジックは「1」。今日勝てば優勝が決まる。そのことはファンもよくわかっている。試合前から球場内は異様な雰囲気に包まれた。ついに、福岡ダイエーホークス対日本ハムファイターズ(現、北海道日本ハムファイターズ)の運命の 26回戦が始まった。

 この日のダイエーのスターティングラインナップは、1番、ライト・秋山幸二。2番、センター・柴原洋。3番、指名打者・吉永幸一郎。4番、サード・小久保裕紀。5番、ファースト・松中信彦。 6番、キャッチャー・城島健司。7番、レフト・ニエベス。8番、ショート・井口忠仁(現、資仁)。9番、セカンド・浜名千広。そして、ピッチャーは、若田部健一。この年のベストラインナップだった。

 1回表、若田部は打者1人に四球を許すものの、三振を奪うなどまずまずの滑り出し。

 そして1回裏、いきなりゲームは動いた。先頭打者の秋山は日本ハムの先発、伊藤の球を捕らえた。11年分の夢を乗せた白球は、アーチスト・秋山幸二の放つきれいな円弧を描き、外野スタンドへ飛び込んだ。初回の先頭打者先制ホームラン。スタンドはひび割れんばかりの大声援につつまれた。さらに、吉永が四球を選び、小久保がレフト前ヒットでつなげると、松中の犠牲フライで走者 1・3塁。ここで城島が意表をつくセーフティバントで得点につなげた。この1点が後に大きく有利となる。

 2−0のままゲームは4回まで進んだ。ここまで日ハム打線を順調に抑えてきた若田部がここで崩れた。小笠原や片岡にヒットを許し、迎えるバッターはフランクリン。1死満塁のピンチ。満身の力をふりしぼって投じたが、甘く入った球は外野スタンドへと運ばれた。悲劇だった。まさかの逆転満塁ホームラン。ファンの声援がピタリと止んだ。夢を掴む目前にして目 (ま)の当たりにした悲劇的展開に球場内が重々しい空気に包まれた。

 だが、この年のダイエーは強かった。シーズン中も何度もこのようなパターンに見舞われた。その度にホークスは逆転、サヨナラ劇を演じてきた。これまで10度のサヨナラゲームがそれを物語っていた。今日もそうなってくれるに違いない。ファンは確信し た。

 その想いが通じた。5回、柴原がセンターへ3塁打を放つと、松中が四球で歩き、2死1・2塁で城島。城島はしぶとく内野に球を転がすと、これが相手のエラーで内野安打に。柴原が生還し、 1点差とした。

 想いを馳せた白球が再び外野スタンドに吸い込まれたのは、ラッキーセブン。7回、主砲・小久保が値千金の同点ホームランを放った。スタンドの声援にまた活気が出た。初優勝を前にして、場内は騒然とした。

 同点に追いつくと、8回から2番手、篠原が登板。「勝利の方程式」へとつなげた。5人の打者に対して、1本の安打を許すものの、2つの三振を奪い、中継ぎの役目を全うした。

 そして、運命が訪れたのは8回裏。1死、走者なし。バッターはこれまで、いくつもの大舞台で活躍し、サヨナラを演出したプレイヤーとして「サヨナラ男」とも言われた井口。日本ハム、金村の 129キロの甘い球を捕らえた。思いっきり振りぬいた打球は133メートル先の右中間スタンドへ。“今年一番の当たり”は、優勝という夢をつなぐ決勝弾となった。

 9回裏、日本ハムの先頭打者は、この日ホームランを放っているフランクリン。8回からマウンドにあがっている篠原は、フランクリンを三振に抑えた。ここで指揮官はマウンドにペドラザを送り込んだ。定石どおりの「勝利の方程式」で、“その瞬間”を待った。ペドラザは、代打の根本をセンターフライに打ち取った。2アウト。

 夢が、近づいた。スタンドからは自然と「あと一人」コールが鳴り響いた。既に泣いているファンもいる。カメラのフラッシュが一斉に炊かれる。ベンチの王監督は、これまでの苦悩をすべて忘れるかのような、晴れやかな笑顔だった。

 ファースト、松中。セカンド、浜名。サード、小久保。ショート、井口。レフト、大越。センター、柴原。ライト、秋山。キャッチャー、城島。ピッチャー、ペドラザ。日本ハムの打者は、代打・藤島。

 9回裏、5−4。ダイエーの1点リード。2死、ランナーなし。ツーストライク。

 ペドラザが城島のサインにうなずいた。 ゆっくりとモーションに入った。 渾身の一球が投じられた。

 藤島のバットは空を切り、白球は城島のミットにおさまった。

 栄光の架け橋が渡された。

 福岡ダイエーホークス、優勝。

 九州の球団としては、西鉄ライオンズ以来、36年ぶり。ホークスとしては、南海以来26年ぶり。そして、福岡ダイエーホークスとしては、球団創設11年目にして、初優勝 。

  マウンドにナインが集まった。初めて味わう歓喜に、城島や小久保、松中らは泣いていた。スタンドでも、悲願達成に多くのファンが泣いていた。平和台球場から想いを託した地元球団が、ついに夢を実現した。福岡ドームのファンだけではない。この日は、西鉄ソラリア前(西鉄福岡駅)や、キャナルシティ博多など、市内各所で街頭中継が行われていた。博多の街は、歓喜に包まれた。

 闘将・王貞治はゆっくりとグラウンドに歩き出し、ナイン1人ひとりに激励の言葉をかけた。そして、誰もが待ち望んだ、その瞬間だった。王貞治が、福岡ドームの宙を舞った。――胴上げには、根本陸夫氏の遺影も参加していた。

1999年9月25日、福岡ダイエーホークスの初優勝で胴上げされる王貞治監督
1999年9月25日、福岡ダイエーホークスの初優勝で胴上げされる王貞治監督

日本一〜連覇を目指して

 リーグ優勝の興奮も冷めやらぬ10月23日、ダイエーにとって初めての日本シリーズが開幕した。セリーグチャンピオンの中日ドラゴンズを福岡ドームで迎え撃つ。

 初戦の先発、ダイエーは工藤、中日は野口。工藤は、日本シリーズ新記録となる13奪三振で中日打線を完全に封じ込む。打線では6回に秋山の先制ホームランで勢いをつけると一気に 3点を奪い、そのまま勝負がついた。ベテランとして若い選手を引っ張ってきた秋山、工藤の活躍で掴み取った1勝だった。

 2戦目こそ若田部の炎上で敗戦するものの、決戦の舞台を名古屋に移すと、鷹の強さが復活した。

 投手陣は、永井、星野、篠原の“二年目トリオ”が予想通りの活躍。先発から中継ぎへ、そして抑えのペドラザと続く“勝利の方程式”は日本シリーズでも健在だった。

 打撃陣は、ベテラン秋山の魅せるプレーに引かれるかのように、小久保、城島、松中らが揃って活躍した。

 シーズン通りの野球をするダイエーは、負ける気がしなかった。ダイエーの3勝1敗で迎えた第5戦は10月28日、ナゴヤドーム。日本シリーズという大舞台に精神で勝っていたのは、中日よりも初出場のダイエーだった。ダイエーは 3回、中日の致命的なミスなどの助けもあって一挙6点。その後、篠原―ペドラザと続く勝利の方程式で守り抜いた。

 9回、最後の場面はまるで1ヶ月前のリーグ優勝を再現しているかのようだった。ピッチャー、ペドラザの投じた1球は、中日最後の打者、李鍾範リー・ジョンボムのバットをすり抜け、城島のミットへ。気持ちよく三振でゲームを決めると、福岡ダイエーホークスが初のリーグ優勝に続き、初の日本一に輝いた。

 王監督が、日本一の胴上げで名古屋のファンの前に宙を舞った。

 1999年のダイエーの戦いぶりを象徴する日本シリーズだった。ファン、選手が一体となってつかみとった優勝。誰もがその喜びに酔いしれた。

 
1999年10月28日、福岡ダイエーホークス初の日本一で胴上げされる王貞治監督
1999年10月28日、福岡ダイエーホークス初の日本一で胴上げされる王貞治監督
   

 だが、戦いの中に身をおく指揮官の中では、既に次の戦いが始まっていた。

  「連覇を勝ち取ってこそ、この優勝の意味がある。それが本当の強さなんだ。」

 この時、チームやファンの間には、自然と“連覇”というキーワードが刻み込まれた。

註釈

1 生卵事件 1996(平成8)年5月9日、下位を低迷するダイエーに怒りを爆発させたファンが、選手が乗ったバスに生卵を投げつける異例の事件が発生。選手達の中では今でも「あの時の屈辱は忘れない」といわれている。

2 脱税事件 1997(平成9)年11月、名古屋の経営コンサルタントから脱税指南を受けたとして、5球団から10人の選手が所得税法違反(脱税)の容疑にかけられた。ダイエーからは小久保裕紀、渡辺秀一が容疑者となった。「球界から永久追放すべきだ」との声もあがったが、小久保は 8週間、渡辺は7週間の出場停止処分となった。

3 サイン盗疑惑 1998(平成10)年シーズン終了後、地元新聞社の告発で、ダイエーが試合中に相手チームのサインを盗んでいたという疑惑が浮上。話は週刊誌に取り上げられるなどして、多方面に飛び火したが、現場を省みず利己的に弁解する球団トップと、無駄に話の規模を巨大化するマスコミの両方に非難が集中した。ダイエーはこの疑惑の翌年に優勝を決める。

⇒次章 “本当の強さ”を手に入れるために男達は、再び闘いの舞台に立った…。

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