第14章 売却騒動
「強いダイエー」
2003(平成15)年の福岡ダイエーホークス。パリーグ5球団全てに勝ち越し、完全優勝を決めた。日本シリーズでは阪神タイガースと熱戦を繰り広げ、4勝3敗で日本一に輝いた。そんなダイエーの初優勝は1999年(平成11)年。翌年にもリーグ優勝を果たし、連覇を成し遂げている。5年の間で3度のリーグ優勝に輝き、2度の日本一を勝ち取った。平和台球場で見たダイエーホークスの姿とは、まるで別物だった。球団は、誰もが認める「強いダイエー」になっていた。
身売り話
だが、「強いダイエー」として成長したころから、外部で耳が痛くなるような騒ぎが起きていた。
ダイエーが初優勝を決めた1999(平成11)年から、球団売却話が浮上。主力取引銀行がダイエー本社の債権回収のために、球団を売却しようという動きがあったためだ。
ダイエーは、1950年代に創業者・中内
氏(前、福岡ダイエーホークスオーナー)が関西で小売店として事業を開始。当初は薬屋だったが、次第に事業を拡大していき、スーパーマーケットとして発展していった。ダイエーの関連会社として、OMCカードやマルエツ、サカエ、オレンジフードコート、大栄商事などがあるように、小売業以外にも様々な分野に事業を拡大している。しかし、バブルの崩壊と共に拡大していった事業が重荷になってきた。本社経営が苦しくなるにつれて、かつてダイエーグループだったローソンやリクルート、新神戸オリエンタルホテルなどは、事業再生計画に絡み、既にダイエーグループから切り離されている。
ダイエーがプロ野球球団を保有することになったのは、1988年9月のこと。南海電気鉄道から「南海ホークス」球団を買収し、同年11月から「福岡ダイエーホークス」が発足している。球団発足から数年間は、豊富な資金力で、次々と戦力を補強。地域に密着した経営手法でファン層を拡大していった。また、福岡ドームのオープンやシーホークホテル&リゾート、ホークスタウンモールなど、球団・球場・ホテルの三位一体経営に取り組むなど、ソフトの面のみでなく、ハードの面からも地元経済界に大きく貢献した。
ダイエーホークスが初優勝を決めた1999(平成11)年、最初の球団身売り話が浮上。すると、毎年オフシーズンになると身売り話で持ちきりになった。ダイエー本社は球団身売り話が浮上するたびに「球団継続保有」を強調した。本社経営が傾いた頃から既に事業再生計画に着手していたが、球団保有は経営再建に欠かせない財産だとして 頑 なに売却を否定してきた。「ホークス優勝セール」など球団に絡んだサービスは、大きな収入を得ているのは事実だった。その一方で、球団保有による赤字続出も否めない事実だった。
グラウンドで魅せろ
ダイエー球団売却騒動のたびに最も不安に駆られたのはファンや選手らだった。ダイエーホークス関連による経済波及効果も大きいだけに、地元財界からも不安の声はあったが、本社経営の都合で球団が簡単に売却されてしまう不安は何よりもファンや選手の方が強かった。中には、「毎年売却騒動に揺れるなら、資金力が安定している企業に売却したほうがいい」という声もあった。
工藤FA問題や小久保無償トレード問題などで、フロントと現場の風通しが悪くなりかけていただけに、本社の経営再建問題はファンや選手からの信頼感を失いつつあった。
選手らにまた1つの結束が生まれた。
「グラウンドで魅せろ」
本社が経営再建問題に揺れていても、やることはだた1つ。グラウンドでファンに喜んでもらえる全力のプレーをすることだけ。王貞治監督はじめ、選手らはその精神でプレーに臨んだ。ダイエー球団が本当に売却されてしまう日が近いとは知らずに……。
⇒次章 パリーグ1の人気球団として飛躍するホークス。ホークス人気の秘密とは…。
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