福岡ダイエーホークス物語

第15章 「パリーグのジャイアンツ」

観客動員数新記録

 福岡市中央区地行浜にある、福岡ドーム。ホークス戦が開催される日は超満員のスタンドから熱狂的な声援が選手に贈られる。

 連日4万8千人の観衆に見守れてプレーするホークスの選手らにとって、ファンの声援は何より心強い味方だ。

 市民の誘致運動によってやってきた球団なだけに、球団に対する地元ファンの注目度は高かった。福岡ダイエーホークスとして福岡の地に根付いてくると観客動員数の新記録を次々と樹立。福岡に留まらず、唯一の九州のプロ野球球団としてファン層を九州各地に拡大させた。ここ最近では、4年連続で1年間の観客動員数が300万人を越えている。この数字はパリーグのなかでもずば抜けた記録ではあるが、プロ野球12球団で見ても、セリーグの読売ジャイアンツに続く観客動員数を誇っていた。

 球団が正式に発表する観客動員数は実数ではないという事実があるものの、観客動員数だけでは計り知れない人気が確かにそこにはあった。

人気の秘密

「福岡ダイエーホークスは、みんなの球団です。」

 毎年球団から出版されていたイヤーブックには、2000年頃まで必ずこのような言葉が添えられていた。

 ホークス球団がパリーグ1の人気球団として成長できたのは、“地域密着型”の球団運営もその要員のひとつである。

 前オーナーの中内いさお氏が、ダイエー球団を発足させる祭に、「地域に根ざした市民球団を目指す」と断言した。その言葉どおり、ダイエーは地域密着型の運営に力を入れた。野球教室やサイン会、ファン感謝イベントなどを精力的に実施した。

 1999(平成11)年からは、球団ロゴやペットマークを無料解放。通常、ロゴを使用する際には、ロイヤリティーを球団に支払わなければならない。このロイヤリティー収入も球団にとって大きな資産ではある。しかし、ロゴマークを無料開放することにより、地元商店や企業がホークスに関連付けたセールやサービスを実施。ホークスのブランドイメージもあって、地元経済に大きく貢献した。初優勝を決めたこの年、福岡市天神のダイエーショッパーズはもちろんのこと、近隣の岩田屋や大丸、三越らもホークス優勝セールを実施。ロゴ無料開放の効果だった。

 2003(平成15)年からは、「勝ったら企画」を球団が実施している。個人企業や法人企業に関わらず、ホークスに関連付けたセールやサービスの実施を推進。例えば、ホークスが勝てば「ビール半額」、「ドリンク無料サービス」、「ボーリング1ゲーム無料」、「ゲームソフトの割引やプレゼント」などは全て「勝ったら企画」実施店舗によるものだ。既に福岡県内をはずめ、九州各地にそれは広がりつつあり、2005年には実施店舗5万店を目指すという。

 球団の強さや選手らのイメージもさることながら、こういった地元経済界と連携した“地域密着型”の球団運営でファン層を拡大していったのが人気の秘密のひとつである。ホークスは、今や地元経済界にとって欠くことのできない貴重な存在となっている。

ストライキ〜ファンの想い、選手の想い

 ホークスの存在が欠かせないのは地元経済界だけではない。ホークスの原動力といっても過言ではない、ファンの存在も忘れてはならない。

 2004(平成16)年9月18日、19日にプロ野球史上初のストライキが勃発。大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの球団合併問題に端を発し、プロ野球選手会がセパ6試合を2日間に渡り中止した。機構と選手会の意見の行き違いが表れた格好だ。選手会は、ゲームを楽しみにしてくれていたファンに申し訳ないとして、各地で思い思いのファンサービスを行った。

 
福岡ドームの試合中止を知らせる紙が張り出される
福岡ドームの試合中止を知らせる紙が張り出される
   

 福岡ドームで開催予定だったダイエー対西武戦も中止。ホークスの選手会も福岡ドームで主力選手によるサイン会を実施。すると、福岡ドームには早朝から多くのファンが駆けつけた。福岡ドームの5番ゲートからの行列は、広い福岡ドームの外周を2周。それでも収まらず、隣接するホークスタウンモールの敷地外周を取り囲む長蛇の列ができた。およそ2万人のファンが集まった。

 
サイン会に集まったファンの長蛇の列
サイン会に集まったファンの長蛇の列
   

「せっかくこんなに集まっていただきましたが、全員にはファンサービスができないかもしれません。」

 選手会長の松中信彦が拡声器を使って、ファンに呼びかけた。すると、周りのファンから「がんばれ」と力強い激励の言葉が飛び交った。

「ファンのためにと行ったサイン会だったか、逆に僕らが勇気付けられた。」

 サイン会終了後、松中はこう語った。やはり、ファンの存在はかけがえのないものだと、改めて感じたという。

 激動の年だった2004年のプロ野球界。2日間のストライキを通して、選手とファンの関係はより密接なものとなっていた。

「パリーグのジャイアンツ」を目指して

 2004(平成16)年の春期キャンプ。この春初めて行われる宮崎でのキャンプには、累計で28万1,300人ものファンが見学にかけつけた。この数字は、同じ宮崎県内でキャンプを張る読売ジャイアンツをも遥かに上回り、球団史上最多である。前年までの高知からキャンプ地を移したこともあり、九州一円からファンが集まった。

「パリーグのジャイアンツのようになりたい」

 王貞治監督は日頃からこの言葉を口にしている。かつて自身がジャイアンツの選手だったからこそその意志は強い。

 球場の観客動員はジャイアンツに次ぐ記録を打ち立てているだけに、既にその目標に達していると言ってもおかしくはない。

 これからは、ジャイアンツをも凌ぐ12球団一の人気球団として成長できるといい。ファンに愛され、地域に愛される、真の意味で“日本一”の市民球団へ。

 2004年12月、その扉を開ける第一歩が訪れた――。

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